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優秀賞
市川紘司
東北大学 大学院 工学研究科 都市・建築学専攻1年 23歳

タイトル
「2010年代=テン年代」的住居設計の
在り方をめぐる小話

0. テン年=天然について

天然ボケ(てんねんボケ)とは、外面的な性格の類型のひとつ。/漫才におけるボケは、笑いとツッコミを誘うために計算されてわざと行われるが、このような「ボケ」的な行動を無自覚に行うとされる性格類型を指す。若者の間では単に「天然」とも言う。/1980年代、ジミー大西のボケが意図的であればチャップリン以来の天才喜劇役者だと期待した萩本欽一が、個室で二人きりで話をしたあと部屋から出てがっかりしながら言った「天然だったね……」という一言が由来といわれている。(出典:Wikipedia)

1. 「わたしの家」=「あなたの家」?「わたしの家」≠「あなたの家」?

今から8年前の2001年、東京オペラシティ・アートギャラリーでは「私の家はあなたの家、あなたの家は私の家」という企画展が催されていた。ソウルのロダン・ギャラリーから巡回して来たその展覧会は、大小様々な作品がけっこう乱雑に展示されていて、普段のこぎれいなアートスペースにはない混沌とした様子だった。
まだ建築とか美術とかをよく知らない中学生のあたしはその賑やかな空間をただ楽しむだけだったんだけれど、でも「私の家」は「あなたの家」なんていう考え方はウソだ、とだけは、なんとなく、でも確かに、思ったのだった。

この展覧会にはアトリエ・ワンも参加していた。彼らの作品は4つあったんだけれど、配置の仕方が面白くて、多様な展示作品が生み出す猥雑なアートスペースの隙間を縫うように点在されていた。まるでアートスペースを東京という都市空間に、展示物を建物に見立てて、小ぶりな建物=作品を埋め込むような感じ。
アトリエ・ワンは普段は住宅の設計を得意としていて、でも、語り口としては都市規模で喋るという、特異な建築ユニットだ。大学に入ってから彼らの著作や作品集を読んだり、ちょっとだけオープンデスクに行ったりしたけれど、あの展示会から地続きの違和感は拭いがたく、いつもあった。
要するにアトリエ・ワンの主張っていうのは、物質的には住宅にしか触れていないけれど、それが都市に存在することで、そこで暮らす人々の認識にも触れる、ゆえに認識論的には住居だけ設計してても都市にも触れている、という感じ。とてもアクロバティックなやり方だ。それはつまり、「わたしの家」は「都市」を介在することで認識的には「あなたの家」なのです、と言っているのだ。 とても知的でクールなやり方だとは思う。でもどこかズルい。

2. 住居と建築と都市をめぐる相関図について

都市か建築か住居か。ごく単純に考えてみると、建築家が設計の対象とするのは、こう三つに分けられる。前者から後者にいくにつれてスケールとしては大から小へ、社会的性格としては公共性から私秘性のあるものに変わる。建築家の仕事が〈民主主義社会を形作る民衆だれもが一定のルールに基づいて利用できる公共財産を製作すること〉と考えられる以上、あえて三者の仕事の価値を順序づければ、住居設計という仕事はこのなかでいちばん下位に属しているって言える。
あるいはこの三者を緊密な間柄にあるものと見なして、三者を一体的に計画していたのが近代という時代であった、と換言することもできちゃうんじゃないかな。住居は建築の「本質」であり都市計画の「基本」。それまでの建築言語から離反して、都市化する世界とそこで新たに生まれた核家族という家族形態のために、まず住居から考えて実践することが、近代では求められていたんだ。
でも現代の日本では、こうした幸福な三者関係は成り立つとはどうしても考えられない。たとえば現代アメリカの幻視小説家スティーヴ・エリクソンは『真夜中に海がやってきた』において、東京をこう描写している。

……通りには名前がなく、家々には空間で意味をなす連続した番号がついていない(中略)東京では、誰でも手の甲に、この都市の一大地図の一部が刺青してある。道に迷うと、そのたびに人々は町角に群がって、自分の手を差し出し、ずたずたに寸断された手紙の断片を寄せ集めるように、手の甲と甲を合せるのだ。※1

この小説は1999年に書かれたものだけれど、このような描写は東京=カオス都市としての1980年代的な感性のいわば焼き直しだ(じゃあどうしてこの小説のこの部分を引用したかって?表現が美しかったからってだけ)。いずれにせよこのような都市で都市計画を考えることはできない。それじゃあ公共建築はというと、特に若年であればあるほど、コンペティションの機会さえ剥奪されているのはみんなが知っている通り。ハイ。そうして、都市と建築とに隔絶された住居設計だけが、現代の建築家に残されたのでした。
こんな状況じゃあ、建築家はすごくフラストレーションを感じる。自分が住居の設計しかしていないことに対して、「負い目」とか「引け目」みたいな感情さえ抱いちゃう。それは旧来の建築家的職能を意識して公共に奉仕することを強く望むような、倫理的な建築家であるほど。
住居を設計しながら都市を語ることで、住居から都市を認識論的に一足飛びに架橋しようとしたアトリエ・ワン。彼らがどうしてそんな困難なスタンスを採らざるを得なかったか。それは、彼らの倫理的な使命感からきたんじゃないかと、あたしは思ってる。

あたしは、違うやりかたを探す。アトリエ・ワンのような知性的な振る舞いには最大限敬意を払うけれど、ちょっと「弱い」感じがするんだ。1990年から20年経ったいま、21世紀最初の10年ももう終わってしまういま、強引でもいいからもっと力強いやり方が求められているはずじゃない?実際、建築の仕事は切羽詰まるまでに減ってるんだ。姉歯事件とか、エコロジー論が盛んになってきて、新たに建築を設計して生産することへの風当たりはすごく強いんだから。 住居の設計しかできないのなら、そこから始めるしかない。住居の設計を建築と都市へ、強引に結びつけちゃうような、そういう即物的な方法論で頑張るしかない。

3. 住居設計について回るルサンチマンの遠因について

住居をのみ実践することがルサンチマンに繋がってしまうのは、磯崎新に拠るところが大きいんじゃないかな。
伊藤ていじ、川上秀光と連名したペンネーム=八田利也として発表した「小住宅ばんざい」以来、磯崎は約半世紀間(!)も、建築家が住居を設計することに疑問があるみたい。「小住宅は、今や設計対象としてあるのではなくして、大部分の建築家にとってはせいぜい新しいオーナーを開拓する手段として存在するにすぎない」※2といった具合。隈研吾は現代住居の閉塞感をアイロニカルに笑い飛ばす「パドックからカラオケへ」※3という論文を書いたけれど、そこで描かれた「パドック」的状況っていうのはまさに八田=磯崎がうえに書いたような状況から地続きの住居の在り方のことだよね。つまり住居設計がその後のキャリアのステップアップになると思われていた。
そのあと磯崎は「21世紀の住宅論」講演会で、もっと直接的にその批判を反復する。住居しか設計しない建築家は建築家ではない、なんて言っちゃう。パラディオやライトは住居で有名じゃないか!って思ったけれど、磯崎は「……結局は、この人たちも住宅から離れて大きい仕事をすることができたから、建築家になれた」※4なんて身も蓋もないこともまで言っていた。
でもこんな具体的な理由だけが、磯崎の住居設計批判の理由じゃない。もっと根が深い。というか、考えてみれば磯崎のスタンスそのものと関係している。
極論すると、磯崎の関心はすべて「形式」にある。「大文字の建築」というよく知られた概念があるけれど、それはイコール「形式」のことだって言うし。※5
どうして磯崎は住居を徹底的に嫌うのか?住居は「形式」を持ってないから、って言えるんじゃないかな。先に挙げた「小住宅ばんざい」のなかで八田=磯崎はこんなことを書いている。これが本質なんだと思う。

なんだかんだと小住宅設計家たちはいうけれど、われわれが具体的にみせて頂いているプランは、複雑そうにみえるが、整理してみると実に単純な要素しかもっていない。※6

さらに住居と芸術についてのアドルフ・ロースの考えを添えれば、磯崎の住居批判の根っこの部分がもっとはっきりと見えてくるんじゃない?

芸術作品は誰に対しても責任がないが、家は一人一人に責任を負う。芸術作品は人を快適な状態から引き離そうとするが、家は快適さに仕えなければならない。芸術作品は革命的だが、家は保守的である。※7

強烈な信念や思想、あるいは「形式」を操作する知性や手腕を持たなくても、つまるところクライアントをさえ喜ばせることさえできれば、住居の設計は成り立つ。たとえば吉阪隆正による『住居学』の途中に何気なく差し挟まれる「しかしあくまでも住居は手段であって、住生活は目的であることにかわりがない」※8という記述。あるいは「我々の眼前には住まいに関連して解決すべき問題が山積している」※9と書いた、西山卯三。どっちも同じことを言っている。

住居=必要不可欠

当たり前に思えるこの関係式は、それゆえ住居は「形式」としての問いかけを受け付けなくする。美学とか批評性なんていらなくなっちゃう。ひたすら快適性や機能性といった、ある「形式」の枠内での「内容」の在り方だけが、住居の問題になってくる。
だから磯崎は住居を徹底的に批判するんだ。

4. カサ・デル・ファッショと「形式」、および「大文字の住居」の可能性について

ところで住居の「形式」のない点からはじまる磯崎の批判だけれど、いまもその批判って有効なの?つまり、「大文字の建築」って必要なの?私は上で確認した磯崎のスタンスっていうのは「ポストモダン」だと思っちゃう。そもそも「形式」=「大文字の建築」という概念は、磯崎自身も述べるとおり、パリ五月革命の1968年からベルリンの壁崩壊までの1989年という「歴史の宙づり」された期間にのみ要請された概念だと思うし。※10
時代が違うってだけじゃなく、もっと率直に言っちゃうと、「形式」しかない建築に人って住めるの?って思う。もし人が住めるなら、「大きな仕事」をしない建築家の住居の設計は怠けすぎだ!って怒るのも確かに判る。だけれど、そもそもそこに住めないんだったら、「形式」がないからって理由で住居を批判されても、お門違いだワ。
カサ・デル・ファッショで考えてみよう。1936年にイタリアの地方都市コモに建てられたファシスト党地方本部のための建物。磯崎はカサ・デル・ファッショについて、こんなことを書いている。

そこには、1930年代の政治主義が読み違え、1950年代の戦後民主主義が拒絶し、1970年代のフォルマリズムが読み落としてきた〈建築〉の力を発揮している深層部がある。※11

合理主義の建物として、政治的供儀物として、マニエリスムの建物として、フォルマリスムの建物として、あらゆる解釈に晒されながら、それでもカサ・デル・ファッショは言い尽くされていないようなある種の凄みのようなものが残っている。そういうカサ・デル・ファッショは、磯崎にとって、「形式」としての建築の一つの理想型みたい。たしかにこの建物の醸す、なんて言うのかな、「存在の強固さ」みたいなものはすごい。
調べてみると、本来はファシズムに捧げられたはずのこの建物は、第二次世界大戦後の一時期にカサ・デル・ポポロとして転用されたんだって。つまりね、「ファシズムの住まい」から「人民の住まい」へ、政治的に「右」から「左」へ大旋回したんだ。それもこの建物は一切手が加えられずに!
つまりカサ・デル・ファッショは、物体としてはモニュメントであるような強固な「意味」を持っていないって言える。「意味」を何でも受け容れちゃう、中身のない純粋な「形式」の残骸としてある。カサ・デル・ファッショが醸すヒリヒリとしたある種の非人間的な雰囲気は、それがファシズムに捧げられたことだけじゃなくて、極限にまで切り詰められた「形式」によるんだと思う。この建物を墓に喩えている評論家がいたけれど※12、たしかにそんな感じ。墓もすごく「意味」があるはずなんだけれど、「形式」的なかたちをしているもんね。個人個人の思い入れなんてある意味どうでもいいみたいにさ。

でもどうしてだか、実際に訪れてみると、私はここに住んでみたい、と思ったのだった。なんでだろう?こんなに人を寄せ付けないのに。
そっか。人を究極的に寄せ付けないってことは、逆に、どんな人でも含み込めるってことと繋がってるんじゃない!?外に出たと思ったらまた内に入っちゃう「クラインの壺」みたいな感じでさ。そういえばビートたけしは「振り子理論」っていうことを言っていたな。「振り子の理論でいえば、暴力とは反対の方向へ振れるだけ振っておけば、今度暴力の側へ戻ってきたとき、今までよりも、もっとずっと過激に表現することができる」※13。つまり極端に行けば行くほど、両極は容易に反転するってこと。ビートたけしじゃあちょっと学問的じゃないからもう少し真面目な引用をしておくと、ジャック・デリダの言う「脱構築」も、大体はそんな意味でしょ?

哲学を〈脱構築〉するとは歴史的由来をもって構造化されている哲学的諸概念を用いて最も忠実かつ内在的に仕事をしながら、他方では哲学では名づけることも記述することもできないある外部の視座にたって、この哲学的諸概念の歴史が、利益がらみの抑圧をすることによってみずから歴史たらしめたさいに隠蔽しあるいは排除してきたものは何か、それを見きわめることである。※14

つまりカサ・デル・ファッショに住みたい、という着想をあたしが得ることができたのは、わたしがこの建物が切り詰めに切り詰めた「形式」を脱構築した=「振り子」を引いたってことじゃない?だったら磯崎の住居批判はある意味では正しい。たしかにこれくらいやっても住めることは住める。むしろこれくらいやらなきゃ、住めない!
でもじゃあ、どうして磯崎は批判するんだろう?「大文字の建築」はイコール「大文字の住宅」になり得るのに。叱咤激励ってだけなのかな?「もっとちゃんと住居を考えて設計しろ」っていう。それとも……、磯崎は、単にそこに人は住めないと思ったのかもしれないね。だからこそ「大文字の建築」と住居を区別しちゃった。
あたしはでも、なんか住めそう。たぶん人間何処でも住めるみたいな感性がいまの時代、若ければ若いほどあるんだろうね。マンガ喫茶とかで寝るのだって、全然苦じゃないモン。ノマド的であることが普通。
というわけで結論。カサ・デル・ファッショみたいな住居を作ったら、全然問題ないジャン!

5. 可能性としての平田晃久モデル

「大文字の建築」から端を発する住居批判を遠因とした現代の建築家が不可避的に抱えるルサンチマンをどう解消するか?あたしなりの差し当たっての回答は、カサ・デル・ファッショに限りなく近いような在り方で、住居をつくること。つまり「形式」的に住居を構想するということになるんだけれど、最後にその一つのモデルとして平田晃久について触れたい。
家具、住居、建築、都市など、彼が発表するプロジェクトはこれまで多岐にわたってるけれど、どれも一目で平田作品だとわかるくらい、すごく強い作家性がある。しかもその作家性は即物的に眼に見えるレヴェルで作品に憑依している。端的に言えば、それはどれも同じような「つくりかた」がされているように見える。平田の建築は原理的だ、と言われているけれど、それはこうした平田作品の特徴の説明としてかなり的を射ているんじゃないかな。※15
ともあれこのような平田作品の特徴は、カサ・デル・ファッショと非常に近いものがあるんじゃないかな。どちらもひたすら自律した「形式」だけで作られている。あと、平田は「ひだ」とか「山脈」といったアナロジカルな説明を好むけれど※16、それは隠喩的ではなく直喩的だから、「意味」があるようでその実ほとんど「意味」を担っていない。これもカサ・デル・ファッショと同じ。違いとしてはカサ・デル・ファッショがある全体象(ここでは直方体)を策定してから数学的比例に基づいて分割していく「折り畳まれる」方法でつくられるのに対して、平田はあくまでもスケールゼロのルール=「原理」を決め、それを「押し拡げる」方法でつくっていることかしら。このことは平田の作品がちょっとだけ人間的であることにも繋がっているように思える。
あるいは平田作品の特徴は、こう言い換えられてもいいのかもしれない。平田にとってプロジェクトの違いは、スケールの違いでしかない、って。
冒頭の都市・建築・住居という三者関係になぞられると、社会的性格はひとまず脇に置いて、「大きいか小さいか」、それだけにしぼって創作しているように見える。あるルールを決める。それを拡大したら住居、もっと拡大したら建築、もっともっと拡大したら都市。みたいな感じ。これまでで一番拡大したであろう「20XX年の建築原理」※17ではハビタ67(モシェ・サフディ)みたいになっちゃってちょっといただけないけれど、少なくとも考え方としては概ね正しいんじゃない?
近代のように、住居と建築と都市の緊密な関係を築くことを、夢想する。そのために、その三者の間にはスケールの違いしかないんだって振る舞う。あえて無垢を演じてさ。これは同じ1971年生まれの建築家・藤本壮介にも表れる特徴で、世代間で共有されるなにかがあるのかも。いずれにせよ、こうした方法は知的というよりは疑似科学的っていうか、すごくシンプルで汎用的でいいんじゃないかなと思っている。

※1 スティーヴ・エリクソン『真夜中に海がやってきた』(筑摩書房、1999年)
※2 八田利也「小住宅ばんざい」(『建築文化』1958年4月号、138号、彰国社)
※3 隈研吾「パドックからカラオケへ」(『新建築』2006年4月号、新建築社)
※4 磯崎新「住宅は建築か」(『住宅の射程』、TOTO出版、2006年)
※5 磯崎新『《建築》という形式Ⅰ』(新建築社、1991年)
※6 ※2と同じ
※7 アドルフ・ロース『装飾と罪悪─建築・文化論集』(中央公論美術出版、1987年)
※8 吉阪隆正『住居学』(相模書房、1965年)
※9 西山卯三『これからのすまい─住様式の話』(相模書房、1947年)
※10 磯崎新「政治的であること」(『新建築』1998年5月号、新建築社)
※11 磯崎新「ジュゼッペ・テラーニの私的読解」(『ジュゼッペ・テラーニ 時代(ファシズム)を駆けぬけた建築家』、INAX出版、1998年)
※12 田中純「裏返された〈ガラスの家〉、あるいは合理主義という倒錯」(※11と同じ)
※13 ビートたけし『私は世界で嫌われる』(新潮社、1998年)
※14 ジャック・デリダ『ポジシオン』(青土社、1981年)
※15 五十嵐太郎「新世代の定点観測」(『新建築住宅特集』2007年1月号、新建築社)
※16 たとえば平田晃久『animated(発想の視点)』(グラフィック社、2009年)など
※17 伊東豊雄・藤本壮介・平田晃久・佐藤淳『20XX年の建築原理へ』(INAX出版、2009年)
審査委員コメント

今回のテーマに答えているのかという疑問はありますが、言葉の力をいちばんもっている論文だと思いました。文章は読んでいて引き込まれ、彼の持論が展開されているのがいいですね。嘘でもよいから過激に、自分の論を主張してほしいと思います。この論文からはその主張を感じました。(藤森照信)